「生活保護を受ければいい」を考えてみた
「生活保護を受ければいい」
これは過労自殺した労働者や生活苦により自殺した人に対して良く言われる意見だ。
一見すると「おれの税金で養ってやるよ」という懐の深さにも感じられるが
「生活保護があるのだから容赦なくおれはお前を追い詰めるし厳しくするぞ」
という意見のまちがいである。
また「生活保護を受ければいい」という意見の裏には生活保護というセーフティネットワークがあるにも関わらず
それを利用できないやつはバカである、といったこともあるだろう。
「生活保護を受ければいい」という人間は組織の上位層に存在し
どちらかというとパワハラが目立っている印象がある。
下からの不満を知ってか知らずか
自分への責任を「逃げる選択肢をしない者」へ責任転嫁しているのである。
現実的なところで「生活保護を受ければいい」と言われる人間が
「生活保護を受ければいい」と言っている人間を変えることはできない。
パワハラは短期的に結果を出すことには適しているが長期的に結果を出すことは
できないので
慢性的にパワハラを行われている環境からは逃げ出すか逃げ出せるための
準備をそれこそ死ぬ気でやるしかない。
一番よくないのは視野が狭くなりすぎて
もう逃げ道がないように思ってしまうことである。
続けるという決断も立派だが
辞めるという決断、逃げるという決断も十分立派なのである。